アナゴは夜がお好き 世の中には長ものがまるっきりダメな人がいる。 長ものというのはウナギ類のことなのだが、私が以前よく釣りに行っていた 某新聞の局長はまるっきりダメで、話をするだけでも顔をしかめたものである。 私のほうはヘビでなければそれ程気になる方ではないので、よくアナゴ釣りに出掛けた。 6月の梅雨時が一番の旬で、近場でよく釣れる。 アナゴは夜釣りがメインで、PM6:00〜9:00までなのだ。 サラリーマンなど、会社勤めを終えた人達がそのまま船に乗り込んで来ることも珍しくない。 その日は、なんと長もの嫌いの局長と待ち合わせて乗船した。 夏バテ防止にはアナゴを食べるのが一番と事あるごとに吹き込んだ成果だった。 梅雨時とあって空はどんよりしていたが、風はない。 この時期雨は降っても案外風がないので釣り易いのだ。 東京湾口を出船して30分ほどで釣り場の長浦・木更津沖へ到着する。 水深も2〜3mと浅場なので手返しの早い手バネ竿が有利なのだが、 この日は二人とも小物用のリール竿で釣り始めた。エサは青イソメの2つ掛けである。 スティック状の(直径5mm×10cm程)サイキュリュームという、 折り曲げるとホタルのように光りだすものを釣り鐘状のオモリ上に付けて、 コツンコツンと底をたたいてコヅクのである。 アナゴが光に誘われる習性を利用しての釣りなのだ。 周りではすでにポツリポツリと上がり出したが、こちら二人にはサッパリ来ない。 何投目かの時に「ウオッ!」と隣の局長の声。 必死で巻き上げた先にはアナゴがツイストを踊っていた。 局長はそのまま、アナゴをこちらに向けた。約30cmの小ぶりのアナゴだ。 ハリから外してバケツに入れてやるとしばらく動き回っていたが、 そのうちおとなしく半円になっていた。 局長は本当は、イソメ類も苦手なのだがこれはなんとか自分でハリに掛けている。 そのうちにこっちにもアタリがきた。 アナゴの引きはクルクルとあの長い体を巻き込むような、特徴のある引きでけっこう面白い。 局長がまた釣り上げて、こちらへよこそうとした時にポロリと船べりに落としてしまった。 幸い船の中だったのでよかったのだが、手の中をヌルヌルと逃げるアナゴとしばし 追っかけっこをしてしまった。 この日は二人して計10尾。アナゴは、釣り終えるとすぐに船長がさばいてくれる。 「トン!」と目か目の付近にクギを打って、スーッスッと見事な手さばきで開いてくれる。 それを身と骨とに分けて、ビニール袋に入れてくれるのだ。 身もさることながら、この骨がカリッと揚げると骨センベイとなって、 酒のつまみに最高なのである。 船長に「アナゴって刺身では食べれないの?」と聞いてみると こともなげに「食べられるよ」と言うので、局長と別れて家に帰り着いた後で ワサビ醤油で食べてみたがコリコリしてなかなかおいしかった。 これは後にプロの釣り師に聞いたのだがアナゴには弱毒があるらしく、 刺身はどうかな…ということだった。 「ゲッ」と思わず喉に手を当てたが、わたしにはまったくなにもなかったのである。 ただまあ…君子危うきに…なので刺身は自重した方がいいかも…。 |
描き初め 実のとここの絵にあるヤマメは釣ったことはない。 これは友人のフライマンF氏にプレゼントしてもらった写真を見て 描いたものである。 彼とは一度渓魚を釣りに入川したことがある。 ヒグラシの声のふりそそぐ中源流に近い川に腰まで入り、 川とんぼとたわむれ、鬼やんまの眼下で竿をふるった。 彼はヤマベを1尾釣ったのだが、わたしはボーズに終わってしまった。 しかし、川に腰まで入ることで川と一体化した感じになり、自分が 自然の一部になった体感を得て、忘れられない思い出となっている。 この絵が今年2007年の描き初めになったのである。 ■ 尺ヤマメ草屑を身に泳ぎ終う |
ひと潮ごとに 8月〜11月にかけて出世魚の代表格、ブリの子が釣れ始める。 関東ではワカシ、イナダ、ワラサ、ブリと大きくなっていくにしたがって名前が変わる。 ゆえに出世魚と呼ばれている。 夏がそろそろ終わろうとする8月半ば頃からワカシが釣れ始め、 一潮ごとに大きくなっていく。 この成長の早さも、出世魚と呼ばれる所以である。 仕掛けは擬似餌のサビキを使ったカッタクリ仕掛けで、コマセを 撒きつつ手でシャクリ上げながら、サビいてくるのである。 8月も末に入った頃、相模湾の乗り合いでワカシ釣りに出かけた。 本来せめてイナダに出世するまで、釣りは控えたいとこで、実際私は 今まで控えていて一度も行ったことはなかったのだが、一度 経験してみようと行ってみたのである。 天気は上々カラリと晴れ渡っている。相模湾はすでにワカシモード一色で 船団が賑わっている。エンジンが緩むと、早速第一投。 アミコマセをステンレスカゴに詰め込んで、いったん底へ落として 手でシャクリ上げてくる。胸の前で富士山を描くようにシャクルのである。 周りではそこそこあがっているのにこちらには来ない。 釣れている時は疲れなんて微塵も感じないのだが こんなときは、シャクル仕掛けがズーンと重くなってくる。 やっとこの船にもワカシがあがりはじめた。そして我が仕掛けにも 待望のアタリが…。なかなかいいヒキでこいつはデカイぞ、 と抜き上げたがそれはワカシではなく、外道のヒラソーダだった。 これが手に持つとブルルルとすごい速い振動で、肩に当てると 肩こりがとれそうな位である。船内のヒラソーダ振動が、 あちこちでブルルル、カタタタ、と音をかなで始めた。 それをきっかけにワカシもあがり始め、私も待望のワカシを 手にすることが出来たのだった。ワカシもさすがブリの子 なかなかの引き味だった。しかしやはり出世魚は、なるべく 出世してからにしたほうがいいなあと痛感した日でもあった。 6尾ほどを釣り上げた後、ワカシの群れは去って行った。 船は元の静けさに戻り、船の周りにはいつの間にか赤とんぼが飛び交っている。 時折り頬をなでる風がはや秋めいてヒンヤリ涼しい。 例のヒラソーダの振動が各クーラーボックス内で響いている。 ブルルル…カタタタ…トルルル…これが気のせいか秋の虫の音 のように聞こえるのだった。 |
河口の魚たち 東京から名古屋に越してきて2年経った頃、父が事故に遭って入院した。 その病院のそばに割りと大きい天白川という川があって、この辺は河口になっている。 見舞った帰りに見ると、何人か竿を出している。バケツを覗くとハゼが何尾か入っていた。 頃は8月末、そうか丁度ハゼが釣れ始める頃だなあとニンマリ。 早速週末に家族三人でやってきた。 AM9時頃だったが、すでに何人か竿を出している。 近くに釣具店があったので、万能餌の青イソメを買ってハリに付けた。 投入するとさっそくアタリ、釣れたのは10センチ程のハゼだった。 いわゆるデキハゼ(当歳魚)というやつである。 今の時期はこのサイズが中心になり、一潮ごとにサイズが大きくなる。 当時小2だった娘に竿を渡し、ハゼを釣らせた。 タナはピンポンウキで合わせてあるので、すぐにアタリがきた。 「ほらきたぞ!」と声を掛けると、あわててしまいバラシてしまった。 ハゼといってもバカにしてはいけない、ちゃんとしたタイミングで合わせないと けっこうバラシてしまうのだ。 そのうち慣れてきて順調にハリ掛かりしだした。 デキハゼとはいえなかなかの食欲で、2本バリのエサを2つともくわえている猛者もいた。 7尾8尾、バケツに溜まりだした頃ふいに、竿を持つ娘がオタオタしている、 「なんだ?」見ると竿が大きくしなっている。 手を添えて手伝ってやると、一回り大きな魚が釣れあがってきた。 よく見ると20センチ強のセイゴであった。 セイゴというのは、出世魚スズキの幼魚で、その後マダカ(関東ではフッコ)・スズキと 名前が変わっていく。小さなバケツにはひときわ大きく見えた。 その後もセイゴが2尾釣れあがった。 やがて帰る時間も迫ってきた頃、そろそろ仕舞うかなと竿を上げようとした時、 大きなアタリがきた。竿をアワセる間もなく、ガッチリハリ掛かりした。 デカイ。竿をしならせタメを作って上げようとしたが上がらない。 慎重に寄せるとゆらりと姿が見えた。 「エッ、あれは」アゴのあたりにチョロリと髭が… と、プッツンと切れてしまった。 呆然と切れたイト先を見つつ、それが鯉であるとこを確信した。 ハゼにセイゴに鯉、さすが河口だ、川、海の魚の五目である。これは面白い。 ファミリーフィッシングなら河口での釣りがいいと思った。 |
入れ食いメバル 我が身内が、「釣り逃がした話ばかりねえ、大釣りしたことないの?」というのである。 実は痛いところをつかれたのである。正直いうと、私はあまりうまいとは、いえない。 殺生には向いていないと、うそぶいているが、ズバリHETAなのである。 そんな私とて、大釣りの経験が無いわけではない。 東京湾の春告魚(メバル)釣りに出かけた時、乗合船で、メバルのポイントを一日流したが、 我がクーラーにはメバルが数尾入っているのみだった。 やがて最後のポイント第三海保、というところで流すことになった。 ここで合図とともに一斉に仕掛けをおろした。 その時、私のリールがバックラッシュを起こしてしまったのである。 糸が絡まって、それ以上下りなくなってしまったのだ。 どうやっても、それ以上下りない。そのうちメバルのアタリが竿先に伝わってきた。 あわててリールを巻くと、リールはスムーズに巻き上がる。なんと、2本のハリに1荷で掛かっていた。 「ラッキー!」と喜んでまた仕掛けを下ろした。 そのバックラッシュの位置まではスムーズに下りるのである。 釣りというのは、タナ(泳層)が大事で、10センチずれても魚は食わなくなってしまうのだ。 たまたまメバルのタナにバックラッシュの位置が当たったのだ。 もう仕掛けを下ろすとバリバリとくる。 周りの釣り人達はタナに苦戦して、あまり釣れていない。 私の入れ食い状態に初めあきれて見ていたが、その内嫉妬の眼に変わり、 最後は憎しみの眼に変わっていた。 私は最後まで、バリバリ…。 クーラー満タンで、意気揚々と帰ったが、これは釣ったのではなく、釣れたってやつで、 ラッキーを喜ぶ、ほろ苦い喜びだったのだ。ま…いいか。 |
肩たたキッス キスというのはそのスマートな体型、鋭い引き味、食味の良さなどから“海の女王”と呼ばれ 多くの釣りファンを持っている。 エサは歯がないので細長いイソメ類を吸い込んで食べ、ちょっとでも違和感を覚えると プッと吐き出してしまう。 この釣りの外道の定番はすでに「メゴチを責めないで」で紹介済みのあのメゴチなのだ。 その姿形はキスとは正反対の“海のオヤジ”という態である。 これが例によってヌルヌルと掛かり始め、釣っては投げ、釣っては投げ、していたのだが、 ついには面倒になって、掛かったままほったらかして昼飯にすることにした。 握り飯ををほうばっていると、カタカタ動いていた竿先がギュンと差し込まれた。 「ウン?」と思って、握り飯をほうばったまま竿をアワセると、ギュンギュンと竿先が絞り込まれる。 スゴイ引きだ。釣り上げてみると30センチ近い最大級のキスであった。 20センチを過ぎると、持ち上げたときに肘を叩くので、俗にヒジタタキと呼ばれているが、 これは肩に触れるほどの大きさで、カタタタキサイズであった。 このキスの大きさは驚きであったが、それ以上に驚いたのが、このキスが、 なんと先に釣れていたメゴチをひと飲みにしていたのである。 キスの口からはメゴチの下半身がヒョロリとのぞいている。 それを引き抜くと、あわれメゴチは悶絶状態でグッタリしていた。 「ホレッ」とわたしは海へ放り投げてやった。 しばらくプカプカ浮いていたが、いつの間にか見えなくなってしまった。 それにしても頭での知識常識は、実践釣行の前にはアッサリと履がえされるのであった。 “海の女王”が“海のオヤジ”をひと飲みにしたのである。 またまた海の中の驚異を垣間見てしまった。 ■ 鍼外す刹那手中のキス鳴けり |
キス(何者?) 東京湾のキスの乗合船で釣っていたときのこと。 プルッと竿先が動いてキスがきた。とっさにアワセ(掛ける)るとガッチリとハリ掛かりした手ごたえ。 「もらった!」とリールを巻いていると、ガクッと竿先にさらに重い引きが来て、グイグイと締め込まれた。 「エッ…」明らかにキスの引きとはケタが違う引きだ。 キスは小型魚(10センチ〜25センチ)。当然ハリス(ハリ糸)は細いのでまともに引き合えば、 すぐ切れるというのは分かったので、リールの出て行くままにまかせて、呆然と見ているしかなかった。 そいつはグイグイと糸を持っていき、結局リールの巻き糸全部が出てしまい、プッツンと切れてしまった。 あのスピードは根魚(海底にいる魚)ではない。 マダイ、シマアジ、それともワラサ(ハマチ)それともスズキ…。 釣れたキスをパクリとひと飲みにして去って言ったアイツは何者なのか…。 ヤツへの想像は頭の中に広がる一方だった。 ゆるゆるとリールを巻き戻しながら、改めて船板一枚下の海という恐るべき宇宙を垣間見た気がした。 |
クロダイが金魚に… 東京にいた頃、漫画家仲間と編集3人でクロダイ釣りに行った。 船で渡った防潮堤が釣り場だ。エサはダンクガニという小さな生きたカニである。 このカニをハリに付けて防潮堤の壁を這わすのだ。 さっそく三人それぞれのポジションで釣り始めた。 私はクロダイ釣りは初めてだったので何とかゲットしようと意気込んでいた。 カニを這わせていったが何の反応も無い。 仕方なくもう一度入れ直そうと上げてみるとカニが付いていないのである。 あれ?逃げたのかな…。自分ではしっかり付けたつもりだったのだ。 仕方ないと、今度はしっかりハリを通して、また壁を這わせていった。 サオ先はピクリともしない。 ここはいないのか…と仕掛けを上げるとまたもやカニがついていないのである。 エッ…これって。そうなのだ。クロダイにやられていたのである。 サオ先はピクリともせず全部のカニをやられてしまった。 やむなく、もう一つ用意していたイソメを使って釣り始めた。 友人達もあっちこっちでサオを振っているが、まだ誰も釣っていない。 いつの間にかあたりは暗くなって帰る時間が迫っていた。 そこへサオ先にコツコツと手ごたえがあった。すかさずアワセルとグッグッと魚が乗った。 やった!掛かったのである。いい引きだ。 私は友人たちにタモで捕ってもらおうと呼ぼうとしたのだが声が出ない。 首を友人達の方へ向けて、パクパクと口だけ動かす、金魚バチの金魚状態になってしまっていた。 何とか自分で引き抜いて見ると、黒々としていたがクロダイではなく、約30センチの良型ウミタナゴであった。 結局クロダイは誰も釣る事はできず、その難しさを思い知らされた。 それにしても人間興奮と緊張の極致では、金魚になってしまうということを初めて知ったのだった。 ■ チヌばらし波止に漆黒打ち寄せり |
シマアジな釣れ味 釣りの醍醐味は、何たって釣り上げるまでのプロセスに尽きると思う。 まず魚がエサをつついたときのアタリ(魚信)、魚を掛けたときの手ごたえ、釣り上げるまでの引き、 魚が海面を割って出てきた時の喜び、タモに入れた時の感触、魚の全長を手にした時の重さ。 これらが釣りの喜びだと誰もが思うのだが、もっとすごい醍醐味があるのを身をもって知ったのです。 それは千葉外房のイサキ釣りに行った時のことだった。 イサキはあまり釣れなかったのだが、シマアジが回ってきたらしく、みんなの竿先が海中にしぼり込まれ、 次々とシマアジ(30センチ〜40センチ)が釣れ始めた。シマアジと言えば料亭直行の高級魚だ。 一瞬にして船中が色めきたった。 そして、私の竿先もギューンと海中にしぼり込まれた。 ものすごい手ごたえで、イサキとは雲泥の差の引きだった。 しかし次の瞬間、ミチイトがプツンと切れたのである。 新しい仕掛けに取り替えて投入すると、すぐ竿先がしぼり込まれたが、 またもや、ミチイトが切れてしまった。 それっきりシマアジは去ってしまったのである。 周りは皆シマアジを手にして喜んでいるのに、 私だけ、切られたミチイトが風になびくのを呆然と眺めていた。 あとで点検してわかったのだが、糸の手入れ不足で、ミチイトが塩でボロボロになっていたのである。 その夜は悶々として眠れず、わずかにまどろんだ時に、巨大なシマアジが夢の中に現れたのだった。 しかし、この日の事が、釣りへのめり込むきっかけになったのだ。 この「釣れなかった」という事が、実は強烈な釣りの醍醐味だと、気付かされてしまった。 ここにまた、釣りの奥深い魔力を思い知らされたのだった。 ■ 糸切らるシマアジ出でし夢枕 |
ウマヅラの詩 私は外道で釣れてくるウマヅラが好きなのです。 ぬめりがなく、ザラリとした紙やすりの手触りが好きだ。 カワハギの権威におよばず、フグの恐怖もない、気の置けなさだけの、ウマヅラが好きだ。 釣り人の緊張感を和らげ、思わず笑ってしまう、あの間延びした顔の平和が好きだ。 釣れたときに、武器のつもりかアンテナを振り回し、 くやしさにグツグツと歯ぎしりする、健気さが好きだ。 イタチの最後っ屁に習って発射するウンコが、妙に哀れで好きだ。 見事に皮が剥げ、食べると骨離れがよく、それなりに旨い、 便利屋さんに甘んじる、ウマヅラが好きだ。 皮を剥がされ、店頭に並べられると、カワハギとして出世する、ウマヅラが好きなのです。 釣りの未来はきみのもの。 ウマヅラ本命の日は近い…かも。 |
メゴチを責めないで 何を隠そう、私はキスの外道で釣れてくる、あのメゴチが嫌いなのです。 釣れた時に、妙にうらめしげな目で私を見るメゴチが嫌いだ。 バケツに入れておくと、自分のヌルで死んでしまうメゴチが嫌いだ。 生存のために食うのではなく、食うためにのみエサを食う、その知性のなさが嫌いだ。 キス釣りに行って、キスよりも必ずたくさん釣れるメゴチが嫌いだ。 ハリを飲んだら、なぜか意固地になって口を絶対開けない、憎たらしいメゴチが嫌いだ。 いくら洗っても落ちない、わけのわからないヌルを持っているメゴチが嫌いだ。 怒ると、なまいきにアニメマンガのロボットのような武器をエラのとこから出すメゴチが嫌いだ。 同じ外道でありながら、ウマヅラの持つユーモアもないメゴチが嫌いだ。 とにかく、私はメゴチが嫌いなのです。 メゴチを魚類と、認めたくないのです。 私はメゴチのいない海へ行って、釣りをやりたい。 …と、思ったこともあった。 |